月の浮かぶ夜空を見上げていた。
私たちが生まれるずっとずっと前から、変わることのない満点の星空。
どんなことがあっても、変わることなくここにあり続けてくれるお月様。
ニブルヘイムにいたときから私は、うれしいことがあった夜も、悲しいことがあった夜も、いつも窓からこの星空を眺めていた。そうすることで安心できたから。何があってもこうして、空からたくさんの光が見守ってくれているんだと思うことができたから。
だけど、毎晩のように見上げてきたにかかわらず……思い出す星空はいつだって、「あの日」の夜のものだった。
「ふう……」
誰もいない、音さえもしない真夜中の街の広場。広場を囲うように灯る街灯の近くにあったベンチに腰掛け、星空に向かってため息をつく。
慌てて家を飛び出し、ここに辿り着いてすぐ辺りを見渡したけれど…案の定クラウドの姿はどこにもなかった。
よく考えもしないまま無我夢中で駆け出してしまったせいで、このあとどうするか何も考えていなかったことに気づく。当たり前だけど、クラウドがここにすぐやって来る保証はない。まだ配達の半分も終わっていないかもしれないし、その逆ですでに通り過ぎてしまっているかもしれない。……ずっと待っていたからといって、会えるとは限らない。
(……はあ)
何やってるんだろう、私。……これからどうしよう。
そうやって自分の無計画さにため息をつきながら、星空を見上げ続けていたとき。
「………?」
ふと……耳に入ってきたのは、柔らかい歌声。
何かの合唱だろうか。その音に導かれるように、音楽が聞こえてくる孤児院の方に目を向ける。
「……」
耳をすませて歌を聴く。歌い始めたのはどうやら子どもたちのようだった。
小さなこの広場に、讃美歌のように美しく優しい音色が響きはじめる。今夜は特別な日だから、中で子どもたちも聖夜を楽しんで過ごしているのかもしれない。
そのあたたかい歌声に心が癒されていくのを感じながら、思わず口元を緩ませる。
そして……この子たちのところにも、クラウドは荷物を届けるんだということに、思いを寄せる。
(……)
どこかの誰かが、子どもたちのためにと想いをこめた贈り物を、クラウドは運んでいる。
子どもたちだけじゃない。この街中の、もっといえば世界中の優しい想いを、クラウドは大切に引き継ぎ繋いでいる。
クラウドは私に仕事を自慢したり、頑張った成果を話したりはしないけれど……彼の仕事はきっと、私が思っている以上に大切なものなんだろう。
クラウドを必要としている人は、私が知らないだけで、この世界にたくさん…たくさん。
「……」
また、ため息をつく。嬉しいような切ないような、言葉では表現できない気持ちになって、つい俯いてしまう。
それからずっと握りしめっぱなしだった携帯を見る。画面にはもう、クラウドの名前が表示されることはない。
時刻はもう、日付が変わる10分前。こんなに引き止めていたかった今日という日は、この星空と同じで、私たちがどんな状況にあろうと変わらず進んでいってしまう。
刻まれていく時間を見つめながら、結局会えなかったなあとひとりで苦笑する。
寂しいけれど……でも、クラウドは頑張ってくれた。
思えばいつも、そうだった。どれだけ遅くなっても、結果的に間に合わなくても、たとえ…格好が悪くても、クラウドは約束を守ろうとしてくれた。諦めずにここに来ようとしてくれた。
その度に彼は「遅くなってごめん」と言うけれど、本当は時間なんてなんでもよかった。来てくれることだけで十分だった。私はそんな……クラウドの一生懸命な姿に、約束を手放さずにいてくれる優しさに、何度も何度も心を動かされてきたのだから。
そう。あの夜からずっと。あの約束から……ずっと。
(……クラウドは、私にとっての…)
「…!」
そんなときだった。ぎゅっと握りしめていた携帯が、目を覚ましたように震え始めたのは。
急なことに驚く心臓を押さえながら、携帯を見る。こんな時間に着信…もしかして、もしかして。
(あ……)
慌てて開いた画面。
それは確かに……確かに今、クラウドが電話をかけてきてくれていることを、私に教えてくれていた。
(…クラウド、)
胸がとつぜんどきどきし始めるのを感じながら、ゆっくり携帯を耳に当てる。
嬉しくて、嬉しくて…もう、上手に息が、できない。
「…、もしもし」
『ティファ!』
「クラウド…、」
『はあ……よかった。繋がった…』
「ご、ごめん……探してた? …クラウド、今どこ?」
『こっちの台詞だ、大丈夫か? 今どこにいる?』
「えっと……孤児院の近くの、ベンチに座ってる」
『わかった。そこから動かずに待っててくれ』
「…うん」
『すぐにいく』
「……、うん」
慌てているように聞こえたクラウドの声。お礼も言えず、場所ぐらいしか伝えられないまま電話が切れる。……クラウド、珍しく息があがっていた。もしかしたら走ってくれているのかもしれない。
一度家に、帰ってたんだろうか。それで私がいないから探してくれていたんだろうか。急に襲ってくる申し訳ない気持ち。そして……情けなくも、それ以上に嬉しい気持ち。
思わず、ずっと腰掛けていたベンチから立ち上がる。そして辺りを見渡しもう一度クラウドの姿を探す。
会いたくて仕方のない、たった一人の大切な人の姿を、探す。
「…っ、ティファ!」
その声は…私の名前を呼ぶその声は、背中の方から確かに、確かに聞こえてきた。
躊躇うことなく声の主を求めて振り返る。振り向いたその先に、クラウドはいた。ずっと探し続けていた……ずっとずっと、会いたかった…
「…クラウド」
ここ何日か分の喜びが一気に、遠慮することなく私の心を支配する。隠しきれない喜びのせいで思わず頬は緩む。クラウドだ。夢じゃない、本当の。
「……、」
はやくそばに行きたいと、うまく力の入らない脚を動かしてクラウドのもとに歩き出す。
クラウドはそんな私よりもはやく駆け寄ってきて、思い切り私の腕を引っ張り抱き寄せる。
そのものすごい力に体のバランスを失って倒れ込んでしまいそうになったけれど、クラウドは揺れることなくしっかり抱き止めてくれた。
「っ、ティファ…」

あついほど温かいその体温に、体の力を抜いて身を委ねる。一生懸命に腕を回して、私も彼を抱き寄せる。
抱きしめてくれる腕の力が強くて、苦しい。だけど、だけど。
(…緩めてなんて、言えない)
「…、クラウド」
「……よかった…会えた……。…………大丈夫か? なんともないか?」
「うん…大丈夫」
「そうか…。…ならいい…」
「…ごめん、クラウド……。…私、…じっとしていられなくなって」
「……」
「…家で待ってるだけじゃもうだめで……それで…」
彼の腕の中、しどろもどろに説明をする。本当は説明できることじゃなかった。ただ、会いたかっただけだから。それだけで私は、ここまで走ってきてしまったのだから。
しばらくただ私を抱きしめて黙っていたクラウドが、ゆっくり腕の力を緩め、少しだけ体を離す。
それに誘われるように顔をあげると、クラウドは困ったような…だけどどこか嬉しそうな、複雑な表情で私を見ていた。……久しぶりに見るその顔に、思わずほうと息をつく。
「………そっか。……迎えにきてくれたのか」
「……うん。…失敗、しちゃったけど」
「…いいんだ、ありがとう。……むしろごめん。俺が遅くなったから…」
「ううん、お仕事だもん。…謝らないで」
そう言って小さく首を振ってみせる私の頬に、クラウドがやさしく右手を添えた。
触れられることが嬉しくて笑ってみせると、クラウドはようやく、ほっとしたように微笑み返してくれた。それが嬉しくて…私はまた一層、頬を緩める。
「……、ティファだ」
「…うん。……クラウド」
「…ただいま」
「……おかえりなさい」
ずっと言いたかった言葉を伝える。クラウドはそんな私の目をじっと見つめたあと、優しく口付けを落としてくれた。
唇が重なった瞬間、胸の中で花が咲くような感覚を覚える。その喜びを感じながら、私はクラウドの存在を確かめるように、柔らかいそれを味わう。
嬉しい、嬉しい。それ以外の感情が見つからない。触れられることを、私は心の底で待ち望んでいたから。
ずっと……こうして欲しかったから。
(…クラウド)
そうやって、クラウドのくれるたっぷりの愛情に浸かっていたとき。
ふと……街のどこか遠い場所で、ゴーン…という、大きな大きな鐘の音が鳴り響いた。
「……?」
その音に釣られて中断される口付け。二人一緒に顔をあげて、鐘の音に耳をすませる。
ぼんやりその音を聞きながら、私はさっき一人で確認した時間のことを思い出す。
そうだ……きっと、この鐘は。
「…日付が…」
「……変わったのか」
「…うん、多分。……あ、…クラウド、私たち…」
「…?」
「…ちゃんと、聖夜祭の日に会えたんだね」
「……あ、」
「ふふ…。…嬉しいね」
「……、ああ。……間に合ったかな」
「うん。…ばっちり」
そう返すとクラウドが少し照れくさそうに笑う。嬉しそうにしてくれるクラウドを見て私も一層喜びを感じる。約束が守られたということを……ひとり静かに、大切に受け止める。
なんていう幸せなんだろう。大切な人と一緒に…二人きりで過ごせるということは、こんなにも有り難くて愛おしい。
私たちは、四六時中一緒にいられるわけじゃないから。一緒にいられるようになるまで、たくさんのことを乗り越えてきたから。当たり前じゃ……ないから。
「…ティファ」
そうやってただクラウドを見つめて幸せを感じていると、彼に優しく名前を呼ばれた。
首を傾げて返事をしてみせれば、クラウドは一瞬目を泳がせてから、何かを決めたような顔つきになる。
(……?)
「……実は、…その」
「ん…?」
「…。……まだ、配達終わってなくて」
「え…、大変。はやく行かないと」
「いや……いいんだ。…ここだから」
「ここ…? ……あ、孤児院?」
「ううん、違う」
クラウドが何のことを言っているのかがわからなくて、もう一度首を傾げる。
だけど彼はその反応も予想の範囲だったのか……慌てることなく嬉しそうに微笑んでから、綺麗な目で私を覗き込んでみせた。
「…ここ」
「…え…………わ、私?」
「…うん」
驚いて瞬きを繰り返していると、クラウドが言葉を続ける。
「手、出して」
どうしよう。胸が、急にどきどきしはじめるのを感じながら、言われた通りにおずおずと手を広げて差し出す。クラウドはそんな私の反応を見てから、ポケットから何かを取り出した。
広げられた私の手のひらの上に、ぽんと載せられたのは……小さな可愛い小包。
「ク、クラウド…」
「……」
「……これ、…もらっていいの?」
「…ん。……最後の配達。…ティファにあげる」
「…あ……ありがとう……」
「…うん」
「……、開けてみてもいい?」
「どうぞ」
あまりの嬉しさに、中身を確認する前からつい満面の笑みになってしまう。
クラウドがここに帰ってきてくれただけでも嬉しいのに……まさか贈り物まで。
(嬉しい……)
あたたかい気持ちをそのままに、本人に見守られながら、丁寧に丁寧にその小包を開けていく。
(……わあ)
そこに入っていたのは……二つの色の宝石が装飾されている、シンプルで綺麗な片耳のピアスだった。
「……、きれい…」
指でつまんで持ち上げて、思わずつぶやく。
きらきらと、暗闇の中でも街灯の灯りを反射して輝くそれを、光に照らして見つめる。柔らかく揺れるピアスは音もなく、ただその美しさを光の中に魅せてくれていた。
「…気に入ったか?」
クラウドが少し控えめな声で私に問いかける。
「うん……すごく嬉しい」
「…よかった。……ティファにこれを渡したくて…」
「…クラウドが選んでくれたの?」
「うん。……ティファみたいだと思った」
「…私みたい?」
「……今もそうだが、夜でも輝いてたから」
「…あ…、……ありがとう。……なんか照れる」
「あ……。…すまない」
「ふふ…どうして謝るの。…………ねえ、つけてみてもいい?」
「…もちろん」
隠しきれない喜びと、照れくささに頬を緩ませつつ、今つけているピアスを外すため耳に触れる。
外すのは簡単でも、つける作業でもたついていると……クラウドが優しく、私の腕を掴んだ。
「…?」
「貸して」
「う、うん…」
グローブを口で外しながらそう言う彼に、ピアスを手渡す。緊張しながら待っていると、ピアスをつけるためクラウドの顔がふわりと至近距離に来る。……不思議。さっきキスまでしていたのに、私またどきどきしてる。
(……)
ちらちらと見てしまう、少し伏せられた長いまつ毛。夜空の下でも美しい瞳。優しく耳に触れてくれる彼の指が……ほんの少し、くすぐったい。
「…よし」
しばらく待っているとクラウドがそっと離れる。無事つけ終えたのか、満足そうな顔をしたまま。
「……どうかな?」
「うん。……綺麗だ」
「…ピアスが?」
「……ティファが」
「ふふ……。…ありがと」
嬉しくって遠慮なくたっぷりの笑みで応えると、クラウドはほっとしたように息をつき、また大きく私を抱きしめ直す。
あたたかい腕の中、おだやかで優しい愛情を感じながら……そのクラウドの肩越しに、私は再び夜空を見上げる。
さっきひとりで見上げたときよりも、ずっとずっと綺麗に輝いてみせる星空に、私は心の中で小さく言葉をこぼす。
ただ、ありがとうと。
この人の隣にいさせてくれて。この人を抱きしめる権利を……私に残してくれて。
「…帰ろう」
しばらくしてから、どちらからともなく声をかける。私たちは手を繋ぐ。
星空の下、置いてけぼりになんかしないように、歩幅を合わせて歩いていく。
(……あ、)
目の端で、きらりと揺れる左耳のピアス。
その光に導かれるように……私はクラウドを見上げる。
「………」
「……? どうした」
「ううん。……ありがとう」
「…何が?」
「…ピアス、かな」
「……よく似合ってる」
「…ありがとう。………大切にするね」
「…ああ。……ティファ」
「…?」
私にいつも、輝くための勇気をくれる、大切な人を見つめる。
「………俺も、大切にするから」
「……、」
「…だから……隣にいてもいいか」
クラウドの優しい願いを聞きながら……私は思った。
「………、うん」
「……」
「…うん、クラウド」
私もそうでありたいと。この人にとっての……優しい光であり続けたいと。
「……ずっと、そばにいて」
ルミナリーのやくそく
(ぼくらはぼくらのために、輝くことを誓い合う)
Comments